メッセージとコンテンツ

昨夜、友人からコンテンツビジネスについての話を聞いた。
で、なんとなくブログを書くことの意味(というほど大層なことではないのだけれど)なんかを考えていて、メッセージとして書くことも、コンテンツとして書くこともできるのかなぁ、何てことを思った。
まだ、"よくわかった"という感じではなくて、思考の試行錯誤をしている段階なので、なにか根本的に間違っているかもしれないけれど、書いてしまわないと忘れてしまいそうなので書いてみる。
ということで、ここでいうメッセージとコンテンツの定義なんていうのもちゃんとはできない。
だけど、イメージしているものはあるので、例を挙げてみる。
友達に電話をかけて、なにかを(電話越しの)言葉で伝える、っていうのはメッセージ。
手紙をおくるのも、Eメールをおくるのも、目の前にいる人に直接話しかけるのも(べつにボディランゲージでもいい)メッセージ。
出版物であるところの本はコンテンツ。

とりあえず今はこんなふうにイメージしている。
で、メッセージでありコンテンツであるものもありそう。
メッセージとして本を書く、とか。
コンテンツっていうのは、「情報」とか「もの」で、
メッセージっていうのは、内容として伝えたい事、伝わったこと、でいいのだろうか。
ということは、メッセージは作用ってことで、
コンテンツvsメッセージは、構造vs機能、のような関係なのだろうか。
でも、そうすると最初にイメージしていたことと食い違うな。
最初にイメージしたのは、もっと単純に、ブログを、
友達への挨拶や意思表明、現状報告などのメッセージというか情報発信にも使うことができるし、
本や雑誌の記事を書くように、だれかの役に立つような記事を書くことや、
ある程度まとまったエッセイのようなものを書くことも出きるけれど、
前者と後者では、(あくまで感覚的にだけれど)意味合いや目的や機能がちがってくる、けれども
混ざっている事もあるよなぁ、とそんなことを考えたのだった。

で、昨夜の話は、「もの」を売るのと、「サービス」を売ること、両方あるけれど、
「コンテンツ」を「もの」のように売る商売は成立するのか、とか広告で利益をだす、とかそんなはなしだったような。
探偵会社にお金を払って調査をしてもらい、最終結果として「情報」を受け取ったような場合、
「情報」を「もの」と同じように買った、ような状況になるけれど、その時でもやはり
純粋な「もの」を買うのとはまったく違ういみになるよなぁ、とか思った。
何が言いたいのか自分でもわからない。
誰かがすでに研究した結果がコンテンツにまとまって、こういったことに対する見解がでていればそれを買いたい。
こういうのは経済学の範疇なのだろうか。
文化経済学 - Wikipedia
文化経済学、ってものがwikipediaにあった。